ワールドメイトの政治に関する予言

日本の政治について (1)

 ところで、Nさんの陳述書が拘泥する「政治」についてですが、もともとこのテーマは論争的であり、立脚点によって解釈や評価は正反対になります。さらに、政治問題は何千年たっても客観的な評価が定まらないという特徴があります。この点、ワールドメイトは次のように指摘します。

 

==========以下、引用==========

 

 『ワールドメイト陳述書①』(※サイト主注:元は甲号証の番号が書いてありましたが、わかりにくいので、この表記に統一します。以下同じ)で、日本の政治の未来について、深見教祖の予言がことごとく的中している点を述べました。無論、それは歴史を長いスパンでみたドラマの一部であり、そう遠くない将来、日本と世界が平和と繁栄の理想郷のような世界を築くという、「神仕組」の一端を示したものであります。

 当教団でいう予言とは、実現性の高い一つの可能性としてとらえられていることは、ワールドメイト陳述書①でも述べた通りです。そして、当教団では、その不幸な予言が実現することなく、人々が幸せになるよう、祈り続けることを会員に呼びかけています。決して、当て物的な的中率を誇ったり、権威的に予言を掲げて人々を平伏させるためのものではありません。

 ところが、深見教祖の政治に関する予言について、Nさんの評価は字句通りの結果が出たかどうかのみに拘泥し、かつ、しばしば予言の主旨を取り違えています。また、政治家の資質や事跡については、歴史的な評価が定まることに時間がかかるものであり、その時々の毀誉褒貶を追っていては本質がつかめません。例えば、日本国の初代首相である伊藤博文は、在世中は藩閥政治であるとか、政商と癒着しているとか、国内では極めて悪評が高かったものです。しかし近年では、当時後進国であった日本を、ロシアを打ち破る世界の一等国にまで引き上げた功績は、伊藤博文にあるとする説もあり、欧米の研究者の中にはビスマルクと並ぶ評価を与える者もいるほどです。

 Nさんが、日本の政治について個人的な印象や感想を述べることは自由ですが、ワールドメイト陳述書①でも申し述べたように、客観性のない思い込みに過ぎない場合も多くあります。いずれにせよ、政治分野における歴史的評価は一朝一夕に定まるものではなく、現時点で一方的に正邪を断定することは困難な場合が多いものです。

(ワールドメイト陳述書②  6~7頁)

 

==========引用終わり==========

 

 ワールドメイト側が言っているのは、きわめて当たり前のことだと思うのです。政治談義は、すべてその前提での話でなければ成り立たないでしょう。この点をきちんと踏まえないと、いつまでも議論は平行線です。

 

 

日本の政治について (2)

 Nさんは、今度はあやふやな記憶のみを根拠に批判をしているようです。

 

==========以下、引用==========

 

 Nさんは、「枚聞(ひらきき)での予言が『次の次の首相が良く、長続きする』という内容であったとしていますが、明らかに虚偽です。私の記憶ではこのような発言はありませんでした」と、自らの記憶にないことを唯一の根拠に、深見教祖がこのような発言をしていないと断定しています。しかし、これこそが虚偽です。実際に深見教祖は枚聞(ひらきき)神業の際、上記の通りの発言をしています。

(ワールドメイト陳述書②  7~8頁)

 

==========引用終わり==========

 

 Nさんは、枚聞神業について、「政治で世界をリードする素晴らしい政治家が就任する」という予言を、深見先生から直接聞いたと述べて、激しい批判をしています。しかし実は、これも根拠がありません。私も当時の神事に参加していましたし、関連する予言は書き留めていますが、当時のノートをひっくりかえしても、ワールドメイト側の発行物を見ても、そんな予言は見当たらないのです。

 当時の私のメモには、「次の次の首相に立派な人が出る」「その総理で安定」とあり、これはワールドメイト側の陳述書と一致します。実際、自社連立政権が誕生して自民党が政権に返り咲き、日本の政治は再び安定したのですから、ズバリ的中の予言です。

 また、数か月で首相交代が相次いだ当時、激動する内外情勢の中で1年半も続いた村山政権は、予想に反して長続きした政権でした。さらにいえば、村山首相が、「非武装中立論」などの非現実的な理念を捨てる英断を下したことで、55年体制型のトンチンカンな政治論議が、ほぼなくなりました。過ちも未熟さもあった社会党の村山党首ですが、日本の政治をダメにしてきた同党の空想論を潔く放擲したことは、やはり立派だったと思います。この政権以後、日本の政治環境は確かに激変したのです。

 

 

日本の政治について (3)

 政治は、数日や数週間のうちに、目まぐるしく局面が展開していくものです。それゆえ、大きなスパンでどうとらえるかと、中期的、短期的なスパンでどう評価するかは、別の問題として慎重に判断する必要があります。しかし、N氏陳述書は、そうした時間軸を無視しているのです。

 たとえば、「1996年は、前年に比べ国運が50倍に発展する」という予言に対し、N氏は単に「それにしても国運50倍とは大きく出たものです」と、悪意を隠さずに批判をしていますが、その論拠は提示していません。

 ワールドメイト側は、冷静に俯瞰的視野を提示しています。

 

==========以下、引用==========

 

 1995年と1996年を比較するなら、阪神大震災とオウム真理教事件が起こり、政治、経済、思想、宗教のあらゆる面で右に左に揺れた1995年と、大規模な災害もなく、比較的平穏無事に過ぎた翌年とでは、圧倒的に後者のほうが国運が隆昌していることは明白です。国運50倍とは決して大げさではありません。

(ワールドメイト陳述書②  8頁)

 

==========引用終わり==========

 

 どう見ても、軍配はワールドメイト側に上がります。N氏陳述書の発言は、特に論拠なく述べられた、単なる揶揄に思えます。

 

 

日本の政治について (4)

 目まぐるしく変化する状況や背景を無視し、ひとつの言葉をとらえて、批判のための批判を展開するのも、Nさんの陳述書の特徴です。それゆえに、「あれっ?」と思うような論理破綻が見られます。

 

==========以下、引用==========

 

 24頁(※『Nさんの陳述書①』 )では、「村山内閣が続けば『沖縄・枚聞神業の証し』であり、村山内閣が倒れれば『伊勢の証し』なのだそうです。子供騙しのトリックです。」と指摘していますが、政治の論評としては、およそ考えられない浅薄さだと言わざるを得ません。政局には多くの場合混乱がつきものです。短命を予想された村山政権が、戦後最大級の災厄に2度も見舞われながら、比較的長期間にわたって持続したことは奇跡的なことです。また、次期政権への政権移譲も、クーデター的な簒奪によらず、穏やかな話し合いの禅譲形式で行われ、政局の混乱を伴わなかったことも奇跡的なことだと言えます。しかも、それが伊勢の神事を行なっているその最中に行われたのですから、驚く他はありません。

 時の政権には果たすべき役割と課題がありますが、果たすべき役割が終われば、適切な時期に穏やかに政権移譲を行うことは重要なことです。当時において、社会党政権がこのように見事な進退の舵取りを為し得たことは、まさに神のご守護によるものといえます。

(ワールドメイト陳述書②  8頁)

 

==========引用終わり==========

 

 1995年という国難の時代を、弱体で経験未熟な社会党政権で乗り切ったのは、歴史の奇跡です。無論、多くの問題点と反省点が噴出しましたが、それらがその後の安定と平和の礎になりました。


 ドラマは現在進行形で展開していきますから、その局面ごとに違う角度の予言や証が出るのは当然です。時期が違うふたつの神示をくらべて、「子供騙しのトリック」というのは、それこそ稚拙なトリックだと思います。

 

 

日本の政治について (5)

 続いて新進党について。(なんだか懐かしい響きですね)

 

 199610月の総選挙に際して、「この選挙において新進党は大躍進する」と出た予言を、Nさんは「外れた」と主張します。しかし、政治用語(選挙用語)でいう「躍進」と「勝利」は違うものなのです。

 

==========以下、引用==========

 

 24頁から26頁に、新進党の顛末が述べてありますが、なぜこれが非難の材料になるのか意味不明です。

 まず、深見教祖が1996年10月の総選挙に際し、「この選挙において新進党が大躍進する」と言った予言はそのままピタリ成就しました。選挙用語でいう「大躍進」「伸びる」とは、「過半数をとる」「勝利する」ということとは異なります。弱小政党が意外に健闘して票を伸ばすことをいうのが普通でありましょう。「自民党は勝ったものの過半数に届かず、新進党は言われていたよりも、ずっと多くの当選者を出していたのです」という実際の選挙結果を、恐ろしいほど正確に予言したのがこの予言です。

(ワールドメイト陳述書②  8頁)

 

==========引用終わり==========

 

 一読して、まさに「その通りだろう」と言うほかありません。

 

 

日本の政治について (6)

 その1年2ヶ月後、新進党は解党しました。Nさんの陳述書は、それを前年10月の予言(新進党の躍進)が破綻したものだと主張しています。

またしても、時間軸の無視です。ワールドメイト側は、こう指摘します。

 

==========以下、引用==========

 

 深見教祖は、「未来永劫にわたって新進党が繁栄する」と述べたことは一度もなく、ましてや新進党を支持したり、支援したことも一度もありません。10月の総選挙後については特に触れていないのです。

 これらは、何度も出ている「未来において日本が政治で世界をリードする」という理想的な政治体制を構築していくプロセスの一部であり、やがて理想的な政治形態に向かっていくためのドラマの一過程なのです。当時の新進党には当時の役目があり、時期が来て役割を果たし終えれば解党し、新しい政党を生み出すことは不思議でも何でもありません。

 ワールドメイト陳述書①で詳述した「神仕組」の考え方や、当教団における予言の捉え方を全く理解しておられないNさんならではの、歪んだ解釈だといえるでしょう。  

 Nさんは次のように述べておられます。「伊勢神事を行ったことによってその善き影響が現実社会に顕現した、その証拠が『新進党解党』だというのです。つい一年前に『新進党が大躍進する』と予言した張本人が、です。」とありますが、これは全く意味不明の文章です。「一年前の選挙では新進党の大躍進を正確無比に予言し、一年後には神事の証として、次の政治改革のために新進党が解党した。」というのが事実です。いったいこれのどこが、Nさんの主張する、「深見の予言はことごとく外れている」という論拠となるのでしょうか。

(ワールドメイト陳述書②  9頁)

 

 こうした文脈を考えると、26頁から28頁にかけての予言も、日本の未来の繁栄に向け、ドラマが進行しつつあることを物語っているものであり、近視眼的な観点から「予言が外れている」とするNさんの主張が、いかに的を得てないかご理解いただけることと存じます。

( 同上 )

 

==========引用終わり==========

 

 

 それにしても、改めてワールドメイトの予言が悉く的を射ていることがわかります。それぞれの神事の性質や、開催時期に従い、国家レベルで展開するドラマのそれぞれの局面を、的確にとらえて表現するのです。これは、ワールドメイトが教祖存命中の天啓宗教であるからこそ、可能なことだと言えると思います。