ワールドメイトの予言への態度

客観的に見て明らかに的中した、ワールドメイトの予言

 さすがに、Nさんの陳述書とて、膨大にあるこうした的中予言を無視するわけにもいかなかったようで、いちおう若干の予言に触れています。

 

==========以下、引用==========

 

 深見教祖の予言が、客観的に見て見事に的中している事例については、Nさんも否定することは不可能であるようです。そのため、「予言がことごくはずれている」ことを論証するために書かれたはずのNさんの陳述書においてすら、1994年12月の伊勢神事で出された予言について、13頁には次のような論評が加えられています。

 

「これらは一見すると、翌1995年1月に起きた阪神大震災や3月の地下鉄サリン事件など、大災害に見舞われた日本の社会情勢を的確に予言したもののように思えますが、単なる偶然です」

 

 つまり、何の根拠もなく「単なる偶然」と言い捨てるほかはないのです。「単なる偶然」とはいいますが、かような「偶然」が起こるからこそ、正しく神の存在を感じ、深見教祖の神霊能力の正しさを実感するのです。

(ワールドメイト陳述書②  3頁)

 

==========引用終わり==========

 

 Nさんの陳述書が、これほど「予言」について論じ、ワールドメイトの正当性への疑問点としてあげている以上、的確に的中した予言について、何か説明があってしかるべきではないでしょうか。「単なる偶然です」の一言で済ますことは許されないはず。しかし、驚くことに、この説明で終わりなのです。そんなの有りですか?と言いたくなります。

 これでは、あまりに一方的です。非論理的なばかりでなく、単にワールドメイトを攻撃したい為だけに、的確に的中した予言の数々を「偶然」として切り捨てた印象がぬぐえません。


ワールドメイトの予言への態度

 もうひとつ。同じく1994年の伊勢神事での予言について。

 Nさんの陳述書を読んで感じることは、「予言」に対するNさんの態度が、一貫していないというか、その場その場で恣意的に論じられていることです。


 例えば、阪神大震災についてNさんは、「地震の発生は的確な予言に思えるが、単なる偶然」だと言います。しかし、すぐ「地震が起こったことは、予言の破綻を意味する」と書いているのです。一つの予言について、偶然当たったといい、さらに本当は外れたという。いったい、当たったのか外れたのか、どちらなのでしょう?

 

==========以下、引用==========

 

 Nさんが13頁から14頁に引用するように、1994年末に行われた伊勢神事においては、翌年の日本の「政治の三大危機、経済の二大危機」が予言されたものの、神事の成功によって、「国家の存亡を揺るがすような危機は回避された」と発表されました。にもかかわらず、この年に阪神大震災が起こったため、神事によって回避されたはずの「国家存亡の危機」が起こったことで、「深見の予言は破綻しました」とNさんは主張しています。

 しかしながら、これは歴史的な視点をどのように持つかにかかわる、解釈の問題です。

 確かに、1995年には阪神大震災が起こり、地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教事件が起こるなど、日本国は戦後最大級の危機に見舞われました。しかし、それゆえに、当時政権にあった社会党が、大きく国家安全保障上の危機意識を変換せざるを得なくなったのです。また、自衛隊容認論をはじめ、一歩も二歩も踏み込んだ安全保障体制の議論が国民レベルで巻き起こり、現在では、内閣を中心とした、トップダウン方式による国家的な危機管理体制が構築されるに至りました。阪神大震災発生後、内閣総理大臣が被害のテレビ中継を見ながら、半日以上も何の政策決定も下さなかった当時を思えば、隔世の感があります。

 Nさんは、阪神大震災の発生をもって、「(来年の危機が回避されたとする)深見の予言は破綻した」と浅薄な解釈を述べています。確かに、戦後最大級の大惨事であり、残念としかいいようのない阪神大震災ではありましたが、これをもって、国家存亡にかかわるほどの危機といい得るものではありません。むしろ、この悲劇を経験したために、日本の政府も、当時政権にあった社会党もその認識を改め、危機管理体制を整備したために、その後起こり得たであろう、本当の「国家存亡の危機」が回避された、というのが歴史的事実ではないでしょうか。

(ワールドメイト陳述書②  3~4頁)

 

==========引用終わり==========

 

 上記の通り、この年の伊勢神業で深見先生は、「国家の存亡を揺るがすような危機は回避された」と予言されました。ところがNさんは、阪神大震災が起きたからその予言は「外れ」だと、Nさん陳述書で述べているのです。


 しかし、ちょっと考えれば、Nさんの主張が以下の通り「こじつけ」であることは明らかです。

 阪神大震災は、確かに痛ましい激甚災害でした。しかし、もしこの震災について、「国家の存亡を揺るがす」ものだと言う人があれば、「それはどう考えても無理があるでしょう」と言わざるを得ません。実際に、阪神地区は、その後、力強い復興を遂げていますし、この地震が国家滅亡につながったわけではありません。 

 Nさんの主張は、要は

「伊勢神業によって回避されたはずの『国家存亡を揺るがすような危機』が起こったではないか。阪神大震災がそれだ」

と言うものです。しかし上記の通り、阪神大震災によって、日本が国家存亡の危機に陥ったかのように言うのは、全く事実ではないのです。従ってNさんの主張は前提そのものに無理があり、「深見の予言は破綻しました」と結論づける根拠は皆無というほかありません。

 

 そして、日本の危機管理体制は、1995年を境にガラッと変わったのです。自然災害や都市テロへの対処について、各国がその後、日本政府に教えを乞いに来ることも相次ぎました。それどころか、2004年のインド洋大津波、2008年の四川大地震など、周辺国の大規模災害に、真っ先に駆けつけたのは日本だったのです。もちろん、危機管理に「完全」は有り得ませんし、時の首相や官邸の力量等による上下もあります。それでも当時、こうした隣国への早急な災害支援対応が取れたのは、1995年の変化あればこそと言えるものです。

 

ワールドメイトの予言への態度〜起こりうる災いを小さくし、人々が幸せになる

 起こりうる未来の災いをいかに小さくするか。そして、人々の幸せをいかに確保するか。ワールドメイトの予言は、そこにこそ意義があるのだと思います。

 だからこそ、避けられない災いが不幸にして起きた際、ワールドメイトは下記のように行動しているのです。私たち会員が、誇りに思うことでもあります。

 

 

==========以下、引用==========

 

 もちろん、亡くなった方々や被害にあった方々のことを考えると、深い悲しみを覚えることは言うまでもありません。特に、被災地であった阪神地区は深見教祖の出身地です。被災者の救援のために、当教団は深見教祖自らの陣頭指揮のもと、積極的な救援活動を行いました。深見教祖をはじめ、大勢のスタッフが数週間も阪神地区に移動し、全国の当教団施設や関連組織から、食料、飲料水、衣類、燃料、仮設トイレや居住環境の整備に関わる膨大な物資を運搬し、被災者ひとりひとりに細やかに配布するなど救援活動を行いました。ひとつの地方の災厄として、これほど悲惨なものはなかったことは、当教団は充分に認識しています。

(ワールドメイト陳述書②  4頁)

 

==========引用終わり==========

 

 

 悲惨な予言であればあるほど、回避されることを望むのが、ワールドメイトです。しかし万一不幸にして、避けられない災害や悲劇が発生したら、被害を最小限にするべく祈り、また時には、教祖自ら現場に飛び込み、救援活動の陣頭指揮に立つ。先に述べた通り、「起こりうる未来の災いをいかに小さくするか。そして、人々の幸せをいかに確保するか」ということをいつも考えているのが、われわれ会員の立場です。


 当初の予言より小さいものであったとしても、万一、なにごとがあった場合は、現実的にはできる限りの弱者救済、人道的支援を可能な限り行っています。それは、当初から深見先生が率先して貫かれている態度であり、当然の暗黙の了解として、ワールドメイトに根付いている考え方なのです。2011年の東日本大震災における、ワールドメイトの献身的な救援活動も、もちろんその一貫でしょう。全くブレず変わらず、黙々とこうした救済を続けているワールドメイトを、私は誇りに思います。