ワールドメイトの1995年鹿島神業での出来事

 的確な予言を「単なる偶然」と言ったり、何のコメントもしなかったりなどのほか、Nさんは、予言を単に「駄洒落」を言うためだったなどと、わけのわからない記述を行っています。

 以下に紹介されているのは、1995年6月鹿島神業の話です。この時、気比の神に祈りを捧げたところ、「古事記」の故事そのままに、気比の神を証するイルカが、鹿島灘(銚子沖)に大量に出現するという驚くべき出来事が起きたのです。(「古事記」では、気比の神様が、イルカを大量に応神天皇に与えた故事が載っています。)

 

==========以下、引用==========

 

 またNさんは、22頁において、1995年6月に行われた鹿島神業の証として、神事の行われたすぐそばの銚子沖にイルカの大群が現れ、「日本の政治の調子がよくなる」と証したことを、理由もなく「このような駄洒落」と一笑に付しています。

 しかしながら、このような自然現象を動かす奇跡が、そう簡単に起こり得るものでしょうか。古来から中国や日本では、徳の高い王の天下泰平の祈りが通じた時に、異形の鹿や亀があらわれて、その証をするという故事がしばしば見られます。特にイルカについては、「古事記」において、応神天皇が即位する際、気比神宮で穢れが払われた証として、イルカが現れたという故事が有名です。当教団では、この年の鹿島神事の直前に気比神宮にて神事を行い、鹿島の神事会場に気比の神をお招きするという神事を行いました。そうしたところ、鹿嶋神事の行われたそのすぐそばの銚子沖に、イルカの大群が出現したのです。これは客観的に考えて、驚愕すべき符合であり、証ではないでしょうか。

(ワールドメイト陳述書②  5~6頁)

 

 何がどのように間違いであるのか、冷静かつ客観的に論証するならともかく、ただたんに「このような駄洒落」と一方的に罵倒するNさんの主張に、はたしてどのような正当性があるのでしょうか。これは、Nさんの陳述書全体に共通する傾向ですが、感情的な非難のための非難、中傷のための中傷に終始しており、論理的、実証的な批判を欠いているという印象が拭えません。そのため、多くの論理の破綻を繰り返しており、何ら説得力のない主張となるのです。

(ワールドメイト陳述書②  6頁)

 

==========引用終わり==========

 

 神話を奉じる宗教文化だけでなく、天啓宗教においても、天祥地瑞は極めて重視されます。こうした奇跡をどう扱うかは、古来より宗教学の重要なテーマですが、何の検証も分析もなしに、「単なる偶然」あるいは「このような駄洒落」と切って捨てるのは、論理としていかにもお粗末で、説得力がないと私には思えます。