ワールドメイトの予言 香港について
1997年〜2000年頃の香港についての予言
Nさんの陳述書は、香港が英国から中国へ返還された後の衰微についての予言を取り上げています。外務省の統計データを引用した上で、「この予言もまた大外れ」と、揶揄する調子で述べていますが、はたしてどうでしょうか。
==========以下、引用==========
Nさん本人も認めておられるように、香港が1997年以降、アジアの経済危機の影響をまともに受け、大打撃を受けたことは否定しようのない事実です。またNさんは、「投資家」と「国際投機筋」の区別すらできていないようです。いわゆるヘッジファンドが香港の為替市場や株式市場に猛攻撃をかけたことを、通常の投資行動と混同して述べておられますが、これはあまりにも事実を誤認しておられるとしか申し上げようがありません。経済学でも多くの異論、異説はありますが、悪名高きヘッジファンドと、資本主義社会でいう通常の投資家を同列に論じることは、かなりの無理があるといえます。
(ワールドメイト陳述書② 10頁)
中国経済の伸長については、統計上の数値と、経済の実体とのギャップを指摘する声も多く、むしろ「バブルではないか」との声すら囁かれていることは周知の事実です。
香港については、返還前から本土の共産党政権に対する不信感から、富裕層がカナダやオーストラリアなどに資産移転を行ったり、大量の頭脳流出が起こっていたことはよく知られている事実です。特に、英領植民地であるというブランドが、中国の一部になったことによる失墜は隠せないことも事実です。
以上の経緯を勘案すると、深見教祖の予言が外れたとするNさんの主張の根拠はあまりにも薄弱で、苦しいものといえます。香港経済の実態や、民心の動向を見る限り、返還前と比べて「三分の一ぐらいの繁栄ぶり」とした深見教祖の予言のほうが、まさに正鵠を射ており、返還後の実態に近いのではないでしょうか。
(ワールドメイト陳述書② 10~11頁)
==========引用終わり==========
私も当時のノートを見てみたところ、「だんだんと人が遠のいていく」「繁栄しているように見えてても今までのような感じじゃない」「衰微」というメモを見つけました。また当時の機関誌によれば、政治不安によって投資家がだんだん遠のき、三年くらいかけて劣化の道をたどっていく旨が書かれていました。
「劣化の道」とは何のことだったのでしょう。起こったことをまとめると、こういうことだったのだと思います。
1997年6月の鹿島神事の後、7月にタイの通貨危機が起こり、その3ヶ月後の10月には香港株が大暴落しました。そして、1998年に香港は大幅なマイナス成長を遂げます。さらに、香港では小売業の倒産増加などから失業者が増大し、失業率が急速に高まっていくのです。英国から中国への返還に加え、こうした背景により香港からの人材流出が加速していき、裕福な人は資産移転を行うなどの防衛策を始めたのです。こうして徐々に劣化の道をたどった事がわかります。
Nさんは2000年の香港の経済成長率が上昇しているという外務省の発表を根拠に、予言が「外れ」と決めつけています。しかし、これこそが、「繁盛しているように見えてても今までの感じじゃない」ということだと思います。少なくとも金融、投資などに関連した数値データと、「実際の国家の繁栄」や「そこに住む人々の幸せ」は、分けて考える必要があるでしょう。それは、ノーベル賞を受賞したコロンビア大学のスティグリッツ教授などが、何度も指摘しているところです。
たとえば、中国のGDP規模が世界二位だからと行って、中国が世界で二番目に繁栄していると本気で信じている人などいるでしょうか。中国では誰も住むことのないマンションの建設を繰り返し、数字の上では経済成長を記録してはいるものの、街はがらがらであるという話も聞きます。内陸部に抱える多くの貧困層を思うと、「ほんの一握りの人がうまい汁を吸っているけれども、国全体としてはとても世界二位というほど繁栄しているとはいえない」というのが、大方の印象ではないでしょうか。
香港にも同様のことが言えるでしょう。香港において、1997年と2000年の経済成長率のみを見て、極端に大幅には落ち込んでいない、と述べたとしても、それまでの繁栄とは異質なものであったのは明らかです。返還後の自由を悲観視した企業は香港でのビジネスを控え、公務員をはじめ、医者、弁護士、会計士、教員といった専門職やインテリ層の流出が起きるなど、香港の先行きには不透明感が漂っていました。
さらに、香港の主要産業は金融です。Nさん陳述書が引用した1998年から2000年頃のデータは、増大するバブルマネーが流入するという、異常事態下における香港の指標です。そうしたマネーが流れ込んで、「見せかけの成長」が発生することは、国家の繁栄とは別のものを意味しています。むしろ、弊害のほうが大きいものです。事実、国際投機筋の猛攻は、香港経済に深い痛手を負わせました。だからこそ当時、香港は全力で防衛していたのです。
その結果、実際の香港はどうなったでしょうか。上海や深セン地区などの、勃興する中国沿海部の経済圏に、ほぼ飲み込まれてしまいました。香港は、この地域の経済、産業、金融の中心都市から転落し、アップダウンを繰り返す中国バブルに翻弄される状況が、その後も続いていました。ブランドの失墜、打ち続く頭脳流出、大陸から押し寄せる労働者など、香港の抱える問題は目白押しです。成長する東アジア経済圏とのリンケージによって、長期的なトレンドとしてGDPが増加したとしても、上記のような内実を見るとき、実際の「国家(地域)の繁栄」という観点から、「劣化の道をたどる」「かつての3分の1」というのは、極めて適切な叙述だと私は思います。