ワールドメイトの伊勢神事と節分祭の関係

 Nさんの陳述書では、基本的なワールドメイトの教義を無視した批判が目立ちます。

 たとえば、Nさんの陳述書には、「伊勢神事で国家存亡の危機から免れた」といっておきながら、その後の「節分大祭ではまた違う危機の予言が出た」という内容の批判があります。

しかし、伊勢と節分では、神事やお出ましになる神々の次元が違い、角度が違い、役割が違うことは、Nさんもご存じのはず。ひとつの事象を違う角度からとらえ、違う次元から重層的に救済するのが、ワールドメイトの神事なのです。

 

==========以下、引用==========

 

 まず、毎年年末に行われる「伊勢岩戸びらき大神事」ですが、当教団では、これを「来年の日本の国運を決定づけるもの」ととらえています。この神事が成功であるか否かにより、神霊界において、来年の日本の国運の大枠が決定されます。すなわち、来年一年間の具体的な指針と、努力の方向性が出されるのです。

 そして、翌年一年間を通して行われる、一つ一つの神事において、さらに具体的な予言が出されていくのです。

 すなわち、前年の伊勢神業で「危機を回避する」大枠が決定されたことによって、2月の立春祭などの個別の神事で、具体的な危機の中身が示され、解決のための方向性が授けられるのです。このことは、当教団が発行する神事のパンフレットの中でも、明確に説明されており、何らの矛盾も破綻もありません。

(ワールドメイト陳述書②  4~5頁)

 

==========引用終わり==========

 

 古くからの会員には、なるほどと普通に分かる話です。ワールドメイトからの郵送物で、私もこうした説明を当時読んでいましたし、これらの前提のもとで神事も予言も行われていました。

 

 Nさんも当然、こうした事はご存じのはずです。ワールドメイトの予言や神事を批判するのなら、その基本的な「約束事」を無視しては、的外れなものになってしまいます。


 神様にも神格があり特徴があり役割があり秩序があると、ワールドメイトでは学びます。伊勢神業でお出ましになる神様と、節分神業でお出ましになる神様は違った神様で、神格・特徴・役割が異なっているのです。ですから、同じ事象であっても長期的な大きな角度で捉える神様もいれば、短期的な改善策を降ろして下さる神様もいます。もちろん、どちらの神様のご守護も必要だからこそ、それぞれに神事を行い、神々様のお働きを願うのです。こうした重層的な救済ができるのは、現実に近い次元から最奥神界まで、あらゆる次元の神様に動いて頂く、ワールドメイトだからこそできることです。

 

 こうした奥深い話は、初めて触れる概念だという人にとっては、にわかに理解しがたいという心情はわかります。ですから、ワールドメイトでは、繰り返し繰り返し、基本的な教義について聞くことができる機会が設けられているのです。

 ですから、Nさんも会員として在籍していたなら、何回も聞く機会や目にする機会があったはずなのです。知っていながらあえて、重要な基本概念を無視した批判を展開するというのは、どういう意図によるものなのか…? 私には、そこが不審に思えるのです。