ワールドメイトがオウム真理教を賞賛した事実はない (1)
Nさんの陳述書の、最もセンセーショナルであり、最も疑わしい部分です。すなわち、「深見教祖はオウム真理教を賞賛していた」という主張。ところが、Nさんの主張は、全くの虚構なのです。まず、Nさんの根拠は以下のとおり。
==========以下、引用==========
Nさんの陳述書9〜10頁では、大原一浩氏の著書を引用し、かつて深見教祖がオウム真理教の麻原彰晃氏を賞賛しており、その未来を予言したものの外れたと主張しています」(ワールドメイト陳述書① 17頁)
==========引用終わり==========
つまり、ジャーナリストの大原氏のインタビューで、麻原氏について深見先生が答えた内容です。それに対してワールドメイトは、「Nさんの引用を見ても、深見教祖は麻原氏を賞賛していない」という事実を、はっきりと指摘しています。(「→」より以下が、ワールドメイト側の解説です)
==========以下、引用==========
Nさんが引用した部分を冷静に読んでも、当時から深見教祖は、麻原氏について賞賛など全くしていません。大原氏の問に答えたインタビューですから、言葉は柔らかく上品ですが、明らかに「賞賛」などではありません。例えば、
・ 「(麻原氏が選挙に出たことについて)いかんせん事を起こすのに年齢が若すぎたし、焦りと急ぎがあって、バックの組織も十分に整っていなかった。政界に進出するにしても、日本の政治の機構は数の論理であることを認識すれば、組織を充実、拡大してからでもよかったでしょうね。」
→ 公明党のような存在ならばともかく、あのような少数の組織で、しかも一般に好意を持たれにくい宗教の教祖が、本気で選挙に出たことについて、深見教祖が、麻原氏の常識に疑問を呈していることは自明です」
(ワールドメイト陳述書① 18頁)
==========引用終わり==========
確かに。Nさんの引用部分をどう読んでも、深見先生は麻原氏を批判しているようにしか読み取れません。いったいなぜ、これが「賞賛した」ことになるのでしょうか。
ワールドメイトがオウム真理教を賞賛した事実はない (2)
Nさんの引用部分は、他にもあります。
==========以下、引用==========
・『仏教にはお詳しいようですが、日本社会で自分に理想や信念を実現しようと思えば、もっと儒教の仁義礼智信、中と和の道の研鑽や実践がいるでしょうし、社会において寿命を長らえる、老荘の保身の法も学ばねばならないでしょうね』
→ すなわち、仁義礼智信の研鑽や実践がいるとは、愛が足りず、公共に益せんとする義の心もなく、礼を失して無礼であり、智恵が足りず、信頼もおけないという意味です。さらに中と和の道の研鑽や実践がいるとは、中は天下の大本であり、本質を見る悟りや目であり、それが足りず、また和とは、その中を社会の隅々まで行き渡らせる達道のこと。この両方が足りないということで、『中庸』にある言葉を借りて、相手を傷つけることなく、深見教祖はよく見れば散々な低評価をしているのです。また、社会において寿命を長らえる、老荘の保身の法も学ばねばならないとは、このまま行けば社会寿命は短いということを、暗に示唆しているのです。
つまりこれは、宗教者としてほとんどの要素が欠落しているということに他なりません。どこが賞賛しているのでしょうか。
(ワールドメイト陳述書① 18頁)
==========引用終わり==========
誰がどう読んでも、ワールドメイト側の主張の通りだと思います。
ワールドメイトがオウム真理教を賞賛した事実はない (3)
次の引用部分にいたっては、もはや決定的でしょう。
==========以下、引用==========
『・あるとき深見青山が、散歩の途中、旧研修所の近くを歩いていると、そのマンションから、異様な気が立ち上がっている。いったい誰が住んでいるのかと調べると、麻原彰晃であったという。「私たちがいた同じマンションに引っ越してくるとは、建物から出る清々しい妙気を、さすがは鋭敏にキャッチしたのだなと思い、感心しました。」』
→ 常々、深見教祖が言っていることですが、半端な霊能者でも、未来のある程度の様子や、どこが清々しい場所か等についてキャッチすることはできるものです。しかし、未来がなぜそうなるかとか、そこがなぜ清々しいかなど、正しい判断までは出来ないのです。これを「半可通」と言います。深見教祖の第一著作『神界からの神通力』冒頭にも、「半可通」を戒める逸話が載っており、会員にはよく知られた話題です。
すなわち麻原氏は、当教団が使用していた研修所が、清々しい気で満ちていたところまではキャッチしていますが、本人が異様な気を発しているために、せっかくの清々しい気を台無しにしてしまっていたのです。「異様な気を発している」と上記にある通り、どう見てもこれは賞賛ではなく、誰が読んでも皮肉でありましょう。(ワールドメイト陳述書① 18~19頁)
・「彼の前世を見ると、ドイツ人の黒魔術の導師」
→ ご存じの通り、白魔術は善い目的で行われるものですが、黒魔術とは悪しき目的を持つものを指し、人を平気で呪い殺す等の悪魔的な呪術のことです。このように深見教祖は、麻原氏を賞賛するどころか、悪だと否定しています。
このように、どこをどう読むと賞賛したことになるのか、Nさんの主張は理解に苦しみます。(ワールドメイト陳述書① 19頁)
==========引用終わり==========
言葉は丁寧ですが、深見先生は麻原氏のことを、はっきり問題視しているのです。いくらなんでも、Nさんの主張には無理があります。
ワールドメイトがオウム真理教を賞賛した事実はない (4)
なお、大原氏のインタビュー当時の状況を、ワールドメイト側は次のように振り返っています。
==========以下、引用==========
そもそも、Nさんが引用した部分は、ジャーナリストである大原一浩氏のインタビューに答えたものです。当時においても、麻原氏をはじめとするオウム真理教は何かと世間を騒がせていました。また、オウム真理教は当時から他者に対して攻撃的であったことは衆知の事実です。それゆえ、あえて宗教批判に類することを述べて無用な紛争が起こることを避け、抑えた口調で冷静な論評をしたものです。当時において深見教祖が、その後のオウム真理教の狂信的な暴走を正確に予測していたからこそ、低次元な中傷合戦に発展することを避け、当教団の会員が物騒な攻撃を受ける可能性を排除したのだともいえます。真正面から攻撃した「小林よしのり」氏や「大川隆法」氏は、命をねらわれて危ない所だったのですから、あくまで紳士的に穏当に事態を推移させることを選択したのは当然であったといえるでしょう。
しかしながら、抑えた口調であってもなお、上記インタビュー談話を読めば、深見教祖がオウム真理教と麻原氏に否定的な印象を抱いていたことは明白で、とてもNさんがいう「賞賛」には程遠いものであります。
(ワールドメイト陳述書① 19~20頁)
==========引用終わり==========
先見の明とは、このことを言うのでしょう。深見先生とワールドメイト側の判断と論評が適切だったことは、今となっては明らかです。
ワールドメイトがオウム真理教を賞賛した事実はない (5)
また、以下の点は、ワールドメイトが「予言」というものをどう捉えているかを踏まえて読むと、さらに明瞭に理解できると思います。
==========以下、引用==========
なお、Nさんは、「天地一体の道を会得して、50代になれば、盛んに善行を施すようになるでしょう。その時点で、力強い宗教家になると思います。」という深見教祖の発言をとり上げ、これをもって深見教祖が麻原氏を「絶賛」している唯一の根拠としています。
しかしながら、深見教祖は最初にちゃんと、「天地一体の道を会得して、50代になれば」と前置きをしています。当時、このインタビューの後に、私が深見教祖に聞いたところでは、天地一体の道を会得して50代に至る可能性はほとんどないが、あり得る未来図の中で一番良くなった場合の可能性ですよ、と述べていました。だから、社会において寿命を長らえる、老荘の道が足りないと伏線をインタビュー内でも述べているのです。予言とは、「起こりうる未来の可能性」をいうものであり、人々の努力や祈り次第で、いくらでも変わってくることは、これまで述べてきた通りです。未来を断言した訳でも、まして当時の麻原氏を肯定した訳でもないことは、上記を読んでも自明のことです。
(ワールドメイト陳述書① 20頁)
==========引用終わり==========
これも、古くからの会員にはよく知られた話です。
深見先生は著作や講演で、「自力と他力の融合」「自他一如」という点を詳しく解説しておられます。ワールドメイトでいう「神人合一の道」の大事なポイントでもあります。その際、深見先生は、中途半端に自力中心主義をとる一部のヨガ行者等を、「自力と他力の融合」の対極の例(良くない例)として挙げておられました。その見本として、麻原氏の名前が何度も出てきたのを覚えています。「天地一体の道」とは、当時の麻原氏のやり方とは正反対のもので、「(その会得の)可能性はほとんどない」というのは、当時の会員の間で共通の認識として持っていた概念です。
また、過度な現世否定と出家主義、後天の修行のみに重点を置くやり方など、あらゆる点でオウムは、ワールドメイトの教義と対極にありました。ある雑誌が、「現世肯定型と現世否定型の新・新宗教」として、まったく正反対の団体であるワールドメイト(当時のコスモメイト)とオウム真理教のふたつを並べて紹介していたのを思い出します。そうした当時の雰囲気を知っていれば、上記の「天地一体の道を会得して…」という深見先生の発言が、強烈な批判であることは明瞭に理解できると思います。少なくとも、当時から今に至るまで、実際の深見先生の言動を元に、「深見先生が麻原氏を賞賛している」などと信じた(元)会員を、私はNさん以外に知りません。
ワールドメイトがオウム真理教を賞賛した事実はない (6)
実際、深見先生は、オウム真理教、および麻原氏について、どう言っていたのか。ワールドメイト側は、「深見教祖は会員の前で、麻原氏について否定的評価をしている」として、その実例を挙げています。長くなりますが、そのまま紹介します。
==========以下、引用==========
深見教祖は、会員対象の講話会では、もっと直接的に、麻原氏に対して否定的評価をしています。例えば、1991年10月の関東定例セミナーでは、以下のように話しています。
(麻原氏が「朝まで生テレビ」に出ていた際に)
迫力がすごいから、だれも反駁できなかったんだけれども、出家主義でね。原始仏教の原点に帰って、経文と照らしていかないと、経典と照らしていかないと真実かどうかわからないからと。その経典から、大川隆法のいうことは全部インチキだというわけですよ。
自分たちは出家主義だ、お釈迦様の原点に帰ってるんだというんだけれどね。だれも反駁しないんだけれども、ぼくは考えながら笑っちゃってね。お釈迦様は奥さんや子供の家庭もあって、そういうものも捨てて、生き死にの境と、煩悩を尽滅する永遠の幸せ、苦を越えるということがテーマで出家されたわけで、死ぬまでそれを貫かれて、五〇年、八〇歳まで。
それなら出家もわかるんだけれども、麻原彰晃さんの場合は、以前ヨガをいってたのに、知らないうちに最近仏教になられて、奥さんがいて子供も四人くらいいるんですよね。
それのどこが出家かと思うんです。
出家主義というのは彼の場合、何をもって出家というのかね。家庭を持って奥さんと子供が四人いるのに、お釈迦様と同じ原点というんだけれども、お釈迦様はそれを捨てて、終生、この世の俗界を離れて出家主義でね。お弟子にはそうさせるけど、本人はそうなんでしょう。
おかしな、矛盾した話なんだけど、だれもいわないんですけれどね、しかし冷静に見てたらわかるんだけど。(1991年10月5日「関東定例セミナー」より)
これは一例ですが、どう見ても賞賛ではありませんし、会員の方がこれを聞いて、深見教祖がオウム真理教や麻原氏を賞賛しているなどと取り違える余地は皆無です。「深見東州は、かねてよりオウム真理教の麻原彰晃教祖を宗教家として高く評価し、好意的な発言を繰り返していた」というNさんの主張が、上記から全く根拠のない中傷であることが分かります。
(ワールドメイト陳述書① 20~21頁)
==========引用終わり==========
こういう話は無数にあります。私も当時、関東定例セミナーで熱心にノートを取りながら聞いていましたが、深見先生は言葉丁寧ながら、主張すべきところをはっきり主張されているのを何度も聞きました。
「深見教祖が麻原氏を賞賛している」というNさんの主張を見たとき、何かの冗談かと思ったのはそのためです。